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大阪高等裁判所 昭和63年(う)204号 判決

主文

原判決を破棄する。

被告人衣笠豊を懲役一年に、同田中未男、同秋丸鹿一郎をいずれも懲役八月に各処する。

被告人三名に対し、原審における未決勾留日数中右各刑期に満つるまでの分をそれぞれその刑期に算入する。

本件公訴事実のうち、被告人三名が共謀(但し、被告人秋丸については、逮捕・監禁の限度)のうえ鳴海清を殺害したとの点につき、被告人三名はいずれも無罪。

理由

本件控訴の趣意は、被告人三名の弁護人高谷昌弘作成の控訴趣意書及び控訴趣意訂正申立書、同佐伯千仭、井戸田侃共同作成の控訴趣意書及び控訴趣意釈明書と題する書面、同中垣清春作成の控訴趣意書並びに神戸地方検察庁検察官検事本井甫作成の控訴趣意書各記載のとおりであり、各弁護人の控訴趣意に対する答弁は、大阪高等検察庁検察官事務取扱検事竹内陸郎作成の昭和五七年一〇月七日付及び同年一一月二五日付各答弁書、検察官の控訴趣意に対する答弁は、弁護人中垣清春作成の答弁書並びに同高谷昌弘、同井戸田侃、同佐伯千仭共同作成の答弁書及び「答弁に対する訂正の申立」と題する書面各記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一  本件公訴事実と審理経過等

弁護人及び検察官の各控訴趣意について判断するに先立ち、便宜のため本件公訴事実の要旨と事件が当審に係属するに至るまでの審理経過を掲記する。

一  昭和五三年一〇月二八日付起訴状の公訴事実中、被告人三名に関する部分の要旨は「被告人衣笠豊は、神戸市内に本拠地を置く暴力団忠成会の幹事長(若頭)、同田中未男は同会幹事長補佐(若頭補佐)、同秋丸鹿一郎は同会若衆であるが、同会理事長(舎弟頭)野村智昌外数名の同会関係者らと共謀の上、同会と友誼関係にある暴力団松田組系村田組内大日本正義団幹部鳴海清が昭和五三年七月一一日京都市東山区所在のキャバレー「ベラミ」店内において、暴力団三代目山口組組長田岡一雄を拳銃で狙撃して負傷させ、殺人未遂事件の犯人として、警察が指名手配して捜査中のものであることを知りながら、同人を同年七月一六日ころから同年八月末までの間、兵庫県三木市志染町広野五丁目二九所在の前記野村智昌の三木事務所ほか三カ所に順次宿泊させて匿い、もって犯人を蔵匿したものである。」という、被告人三名に対する犯人蔵匿の事実であり、同じく昭和五三年一二月四日付起訴状のそれは「前記公訴事実のとおり被告人三名らが匿っていた鳴海清が、被告人衣笠らに無断で大阪市西成区所在の自室に舞い戻るなどの身勝手な行動に出たうえ、被告人衣笠らの説得にもかかわらず再度右西成区近辺に戻ろうとする同人の所為を持て余したことや、かねて被告人衣笠らにおいて右鳴海に前記田岡に対する挑戦状の手紙を書かせてこれを同人あてに郵送させていたため、右鳴海の口から忠成会が組織ぐるみで右鳴海を蔵匿した事実や右挑戦状を書かせた事実が発覚することを恐れるあまり、被告人衣笠、同田中は右鳴海を殺害するに如かずと決意し、被告人秋丸は右殺害の目的を有しないまま、ここに右三名が共謀の上、同年九月一日午後一一時四〇分ころ、前記野村の三木事務所階下六畳間で、被告人秋丸において右鳴海の背後から羽交締めにし、被告人田中において右鳴海の両足首を日本手拭で緊縛するとともに両手首を同様の日本手拭で後手に緊縛し、被告人衣笠、同秋丸の両名において布粘着テープで右鳴海の顔面及び頭部を鼻部だけ空けるようにして一〇数回にわたりぐるぐる巻きにし、更に同テープで両手首、両足首、膝部それに胸腹部辺りをそれぞれ何重にも重ねてぐるぐる巻きにし、そのころ、同所玄関前路上に停めていた普通乗用自動車(神戸三三そ一八九七号)の後部トランク内に同人を押し込んだ上、同月二日午前〇時過ころ、同所先から被告人衣笠において運転し、同田中において助手席に同乗して同車を発進させ、同所から約54.2キロメートル離れた神戸市北区有馬町六甲山一九一九番の一先の県道明石・神戸・宝塚線瑞宝寺谷付近路上まで右乗用自動車後部トランク内に右鳴海を閉じ込めたまま搬送し、同日午前二時前ころ、同所付近路上において、被告人衣笠、同田中の両名において同車後部トランク内から右鳴海を路上に抱き降ろし、被告人衣笠において右鳴海を同所路肩から西側瑞宝寺谷に向け約一五二メートル下方の同谷堰堤下付近まで滑り落しあるいは引きずり降ろし、同所において、身動きできない同人の胸背部を所携の登山ナイフ様のもので数回突き刺してとどめをさし、よって、そのころ同所で同人を心臓刺創により失血死させて殺害したが、被告人秋丸においては右鳴海の身体の自由を奪って同人を不法に逮捕監禁したものである。」という、被告人三名共謀による殺人(但し、被告人秋丸鹿一郎については、逮捕監禁を責任限度とするもの)の事実である。

二  これに対し、原審は、罪となるべき事実第一として、その終期の点を除き被告人三名が特に争わなかった犯人蔵匿の訴因については、蔵匿の終期を昭和五三年九月一日と認定し、また個別の蔵匿場所、時期を具体的に認定した外は、ほぼ公訴事実どおりの事実を認定したが、被告人らがいずれも公判廷において事実を強く否認して争った殺人(逮捕監禁行為を含む。)の訴因については、これを裏付ける主要な証拠である被告人田中、同秋丸の捜査段階の自白のうち、被害者たる鳴海清(以下鳴海という。)に対し被告人三名が共謀のうえ逮捕監禁行為を行ったとの部分(以下田中自白の前半部分及び秋丸自白という。)は、他の証拠とも符合して信用性が認められるとし、その後、被告人衣笠と同田中が殺意をもって監禁状態の鳴海を三木事務所から六甲山中まで運搬し、同所において被告人衣笠が登山ナイフ様のもので同人を殺害したとの部分(以下田中自白の後半部分という。)は、信用できないが、その余の証拠により被告人衣笠による殺人の単独犯行が証明できると説示したうえ、結局、罪となるべき事実第二として、被告人三名共謀による前記三木事務所における鳴海の逮捕監禁行為については、ほぼ公訴事実どおりの事実を認定し(但し、被告人田中の殺意の部分は措信できないとした。)、さらに被告人衣笠は、殺意をもって右逮捕監禁行為に及んだうえ自らが運転し被告人田中が同乗した車のトランクに鳴海を押し込んで三木事務所から連れ去り、前記瑞宝寺谷山中またはその近辺においてナイフ様の刃物で数回突き刺して殺害したとの事実を認定し、被告人衣笠を犯人蔵匿(原判示第一の事実)及び被告人三名共謀による逮捕監禁行為を含む殺人の事実(原判示第二の事実)により懲役一〇年に、被告人田中を犯人蔵匿(同第一の事実)及び逮捕監禁(同第二の事実)の事実により懲役三年六月に、被告人秋丸を犯人蔵匿(同第一の事実)及び逮捕監禁(同第二の事実)の事実により懲役三年六月に各処した。

三  右判決に対して、被告人三名の原審弁護人と検察官(被告人衣笠、田中関係のみ)の双方が控訴したが、大阪高等裁判所(以下第一次控訴審という。)は、昭和五九年九月一八日、被告人秋丸の控訴を棄却したが、検察官控訴の一部を容れ、かつ一部職権判断により、田中自白は全体として信用できるとして、事実誤認により原判決を破棄し、被告人衣笠について公訴事実どおりの態様の殺人及び犯人蔵匿の事実により、懲役一〇年に、被告人田中については鳴海を三木事務所内で逮捕監禁しさらに六甲山中に運搬して監禁した事実はあるが殺意が認められず、幇助にも該当しないとして犯人蔵匿及び逮捕監禁の事実により懲役三年六月に処した。

四  これに対して、被告人衣笠の弁護人及び被告人田中、同秋丸が上告したところ、最高裁判所は、昭和六三年一月二九日、適法な上告理由がないとしたものの、職権で判断し、前記田中及び秋丸自白の信用性を認めた第一次控訴審の判断には重大な事実誤認の疑いがあるとして、第一次控訴審の判決を全部破棄し、事件を当審に差し戻した(以下上告審判決という。)。

第二  弁護人佐伯千仭、同井戸田侃の控訴趣意中原判示第二の事実に関する不告不理原則違反の主張について

論旨は、要するに、被告人衣笠、同田中は、前述のとおり殺人の事実で起訴されたのであり、これと併合罪の関係にたち公訴事実の同一性を欠く逮捕監禁の事実を認定した原判決には、審判の請求を受けない事件について判決をした違法があり、刑事訴訟法三七八条三号により破棄を免れない、というにある。

そこで、所論にかんがみ検討するに、記録によれば、原判示第二の事実に関する公訴事実の要旨は前記のとおりであり、起訴状には、これに対する罪名・罰条として、「殺人・刑法一九九条、六〇条。なお被告人秋丸につき、同法三八条二項、二二〇条一項」と記載されているところ、原判決は、前記のとおり認定し、その法令の適用欄において、被告人衣笠に刑法一九九条(監禁の限度で更に刑法六〇条)、被告人田中に対して刑法六〇条、二二〇条一項を適用する旨判示していることが明らかである。

しかしながら、この点に関しては、上告審判決が指摘するとおり、本件における殺人罪と逮捕監禁罪の罪数判断の如何にかかわらず、本件起訴状における逮捕監禁の事実は、その態様の特殊性に着目すれば、単に被告人秋丸についての逮捕監禁罪の構成要件を示す趣旨で記載されているにとどまらず、被告人衣笠、同田中に対しても犯罪事実としてその処罰を求める趣旨として記載されていると解される。すなわち訴因として審判の請求を受けていると解する余地があるから、前記のごとく被告人衣笠について、殺人罪の実行行為の一部として逮捕監禁の事実を、被告人田中について逮捕監禁罪の成立を認定した原判決に、所論の違法があるとまでは認められない。論旨は理由がない。

第三  弁護人佐伯千仭、同井戸田侃、同中垣清春、同高谷昌弘の各控訴趣意中原判示第二の事実に関する理由不備ないし理由そごの主張について

論旨は要するに、原判決は、前記のとおり、罪となるべき事実第二として、被告人衣笠の単独犯による殺人の事実を認定しているが、そもそも原判決挙示の証拠によって、原判示態様の殺人行為を認定することは不可能であってこの点に理由不備があり、またほぼ同様の証拠関係に基づきながら、被告人田中に対しては逮捕監禁罪の成立にとどめている点、さらに証拠説明部分において、被告人衣笠の殺人に関し共同犯行を匂わせる説示をしている点はいずれも理由そごであり、原判決は、刑事訴訟法三七八条四号に該当する違法があり、破棄を免れない、というにある。

そこで、所論にかんがみ検討するに、記録によれば、原判決は、被告人衣笠の単独犯行を認定するについて、刑事訴訟法三三五条一項所定の理由及び詳細な証拠説明を判示しており、また虚無の証拠による認定あるいは証拠から右認定をすることが一見して不合理な事実認定に該当する場合であるとは考えられず、理由不備をいう所論は採用できない。

また、原判決は、「被告人衣笠につき殺人罪を認定し、かつ同田中につき監禁罪の成立のみを認定した理由」と題して、その相互関係について証拠説明を加えており、その証拠評価の当否は別として、原判決に所論指摘の理由そごがあるとは認められない。

もっとも、原判決には「第二当裁判所の判断」と題する証拠説明部分三において「右殺害に他の者が関わりあっており、かつ直接鳴海の殺害行為を行ったのはその者である可能性も否定できないと思われるが」と説示している部分があり、直接殺害行為を行った者が第三者であり、被告人衣笠の単独犯行でない合理的可能性があるような説明をしている部分が存することは所論指摘のとおりである。

もしそのような合理的可能性があれば、被告人衣笠が刺殺したとの単独犯の事実を認定した罪となるべき事実との間に矛盾が存することとなり、理由そごのそしりを免れないこととなるが、前記罪となるべき事実及び法令の適用欄の記載内容及び原判決が前記説示部分の直前において「鳴海は、前示のように被告人衣笠及び同田中により小南方から搬出された後、程なく、その拘束の続く中で被告人衣笠により死体発見場所又はその周辺において殺害されたものと認定するのが相当である。」と明確に判示している点に照らすと、前記説明は、文辞いささか紛らわしいものの、単なる一般的可能性についての付言にすぎず、共同犯行の合理的可能性があることを示唆しているものとは考えられないから、理由そごには該当しないと解することができ、右所論も採用できない。論旨は理由がない。

第四  弁護人高谷昌弘の控訴趣意中原判示第一の事実に関する訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は要するに、原判決は、第一の事実につき、証拠として、被告人田中の検察官に対する供述調書七通、同秋丸の検察官に対する供述調書一一通を挙示しているが、右調書はいずれも、右事実による公訴提起がなされた後に、被告人両名を取り調べて作成した違法な証拠であり、これを証拠として採用した原審の訴訟手続は法令に違反しており、右証拠がなければ前記事実の認定は困難であるから、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というにある。

そこで所論にかんがみ、記録を調査して検討するに、なるほど右各調書は、作成日付をみる限り、被告人田中、同秋丸が昭和五三年一〇月二八日に原判示第一の事実(犯人蔵匿)と同一の公訴事実により起訴された後に被告人両名を取り調べて作成した調書であること及び原判決が右各調書の証拠能力を認めて原判示第一、第二の事実に共通の証拠として挙示していることは所論指摘のとおりである。

しかしながら、起訴後の取調べが原則として違法とされるのは、起訴後においては、検察官と被告人側とが当事者対等の立場に立って、公判廷において攻撃防御方法を尽くし、その活発な訴訟活動によって真実を発見しようとする当事者主義の訴訟構造に照らし、起訴後に被告人を被取調者の立場に置くことが、被告人側の公判における訴訟活動を圧迫するなど不当な影響を与えるおそれがあると考えられるからであり、被告人に起訴された訴因と別の容疑がある場合、あるいは起訴された事実についての取調べであっても訴訟活動に不当な影響を与えるおそれがないと考えられる場合、例えば、被告人からの申し出があって補充的取調べをする場合とか、公判における争点に直接関係しない事実についての確認的取調べをするような場合等にまで、これに対する取調べが全て禁止されると解すべきではない。

本件についてこれをみるに、記録によれば、昭和五三年一一月一三日に被告人田中が逮捕監禁・殺人幇助の事実、被告人秋丸が逮捕監禁の事実により再逮捕された事実が認められる。

従って、その後に行われた右各事実に関する取調べは、右両名が犯人蔵匿の事実により既に起訴されているか否かにかかわらず、余罪に関する取調べであって、その結果作成された供述調書が事実関係の関連性にかんがみ原判示第一、同第二の各事実に共通の証拠として用いられているにすぎず、違法な起訴後の取調べによる供述調書を用いている場合であるとは認められない。

所論指摘の各検察官調書のうち、右再逮捕前の検察官調書(被告人田中の昭和五三年一一月五日付、被告人秋丸の同月一日付、同月四日付、同月一一日付各供述調書)については、いずれも調書冒頭記載の被疑事実が「犯人蔵匿等」と記載されており、起訴後の取調べに該当するかのような外観を呈しているといわざるを得ない。

しかしながら、原判決も指摘するように右四通の調書の内容を検討すると、被告人秋丸の昭和五三年一一月四日付を除くその余の調書の内容は、本件事案の性質上、犯人蔵匿の事実に無関係とはいえないものの、右事実に関する供述はほとんどなく、その取調べが起訴にかかる犯人蔵匿の事実の公判に備えて作成されたものではないことを窺わせており、また昭和五三年一一月四日付の被告人秋丸の検察官調書の前半部分は犯人蔵匿の事実に若干触れているものの、蔵匿中の鳴海の言動というような蔵匿の事実に直接関係しないものがほとんどであって、結局いずれの調書についても、犯人蔵匿の公判に不当な影響を与えるおそれがあるとは認められず、起訴後の違法な取調べとして、犯人蔵匿の事実認定から排斥すべき証拠であるとは考えられない。論旨は理由がない。

第五  弁護人佐伯千仭、同井戸田侃、同高谷昌弘の各控訴趣意中原判示第二の事実に関する訴訟手続の法令違反の主張について

論旨は要するに、原判決は、原判示第二の事実に関する証拠として、被告人田中、同秋丸の検察官及び司法警察員に対する各供述調書を証拠として挙示しているが、右各調書は(1)違法な別件逮捕勾留中に作成されたものである、(2)別件の起訴後の勾留を利用して勾留期間の制限を潜脱して行われた違法な取調べの結果作成されたものである、(3)原判示第二の事実(以下本件ともいう。)で再逮捕された後に作成された調書も、それ以前の違法な取調べの影響下にあり、いわゆる毒樹の果実である、(4)捜査官の取調べは苛酷であったり、利益誘導、偽計を用いるなどしており任意性がない、(5)検察官に対する各調書は特信性を欠いている、の諸点でいずれも証拠能力がないのに証拠として採用し、事実認定に供した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反がある、と主張する。

一  そこで所論にかんがみ、記録並びに身柄関係記録を調査して検討するに、まず被告人らを取り調べるに至った本件捜査の経過として、以下の事実が認められる。

1  鳴海の殺人未遂行為と逃走

鳴海は、いわゆる反山口組系暴力団松田組系村田組内大日本正義団(本拠地大阪市)に所属する暴力団幹部であったが、昭和五一年一〇月に大日本正義団会長吉田芳弘が山口組系暴力団組員によって射殺される事件が発生し、同会長に心服していた同人は、その報復のため、山口組組長田岡一雄の殺害を企図し、約一年九か月後の昭和五三年(以下特に年号を冠さない場合はすべて昭和五三年である。)七月一一日に京都市内のキャバレー「ベラミ」店内において同組長に対し、拳銃弾数発を発射して重傷を負わせた後、拳銃を所持したまま逃走した。

2  鳴海の潜伏と犯人蔵匿の開始

鳴海は、右犯行の翌日ころ大日本正義団の二代目会長吉田芳幸に連絡をとって身柄の保護を依頼したところ、同会長は、当面の潜伏先を指示するとともに、松田組と同様に反山口組系暴力団で神戸市内に本拠地を有する忠成会の理事長野村智昌に鳴海の蔵匿方を依頼したところ、同人がこれを承諾し、同人の指示により同会幹事長(若頭)である被告人衣笠が責任者となって鳴海を匿うこととなり、七月一六日ころ被告人衣笠の命を受けた、忠成会幹事長補佐(若頭補佐)の被告人田中、同因幡弘幸が鳴海をその潜伏先である名古屋市内のホテルから、兵庫県三木市内にある前記野村の三木事務所(実態は、小南安正の自宅であり、以下小南方ともいう。)に秘かに移した。

3  鳴海蔵匿の状況

その後殺人未遂犯人としてその逮捕に全力を挙げていた京都府警察本部と鳴海殺害を企図する山口組の双方からの厳しい追及を免れさせるため、被告人衣笠は、鳴海の身柄を次々と移動させた。

すなわち、七月一九日ころまでは三木事務所、その後同日から同月二四日ころまで神戸市兵庫区内の前記因幡方、同日ころから同年八月八日ころまで三木市内の忠成会組員村岡明美方、同日ころから同月二二日ころまで兵庫県加古郡播磨町内の同会組員室井孝夫方、にそれぞれ匿った後、同日ころから再び三木事務所に蔵匿した。

この間、鳴海は長期間の潜伏生活のため精神的に不安定となり、田岡組長を再び狙撃すると言って、その旨の挑戦状を書いて田岡宛に投函したり、被告人衣笠らの注意にもかかわらず潜伏先から勝手に大阪市西成区内の同人の妻や愛人宅に外出したり、いらだちの余り、三木事務所において、終始鳴海の身辺の世話をしていた被告人秋丸にくってかかったり、刃物を振り回すなどの行動があり、被告人ら忠成会関係者としても、その処遇に持て余す状況であった。

4  鳴海の失跡と遺体の発見

鳴海が三木事務所にいつまで匿われていたかについては、後記のとおり同人殺害のための逮捕監禁行為の有無との関連で争いがあるところではあるが、いずれにしても八月下旬ないし九月初旬ころに同事務所から失跡して消息を絶ったが、九月一七日に六甲山中において、ハイカーにより腐乱した他殺死体として発見されるに至った。

5  遺体の状況

同遺体は、神戸市北区有馬町六甲山一九一番地の一瑞宝寺谷山中の六甲山ドライブウェー(県道明石・神戸・宝塚線)から約一五〇メートル下の谷に設けられた砂防ダムの堰堤下にうつ伏せの状態で、両手を後ろ手に日本手拭で縛られ、両足首も同様の日本手拭で縛られていたほか、頭部(頭頂部を除く。)、顔面部(下顎部を含む。)に全面的に布製ガムテープが巻き付けられ、手首、胸部(足部分にずり落ちていた。)、足部にも一部ガムテープが巻かれているという異常な姿で放置されていた。

着衣は下着を全くつけず、毛糸腹巻とパジャマ上下のみであり、パジャマ上衣の背面に幅三センチ前後の鋭利な損傷が五か所認められたが、上衣のその他の部分及びズボン、腹巻等に明確な損傷はなかった。

遺体には、骨折は認められず、主な損傷として下顎歯四本が脱落し、さらに腐敗せずに残っていた心臓背面から左心室に鋭利な損傷が認められた。

また胃内容物としてかなり消化された米飯、青い菜葉(スグキ、野沢菜に類する漬物と推定されるもの。)、人参片、キャベツ片が認められた。

さらに腹巻内には、護符等のほか二つ折りの一万円札一〇枚を三束重ねて紙で包み、さらにこれをポリエチレン製フィルムで包んだ状態の現金三〇万円が入っていた。

神戸大学法医学教室教授溝井泰彦は、遺体発見の翌日、死体を解剖した結果、死後経過時間を約二、三週間、食物消化時間を二ないし四時間と推定し、かつ腐敗が高度のため死因の断定はできないが胸背部に刃器が二、三回刺入された可能性があり、出血死の可能性が極めて高い、と鑑定した。

6  捜査の開始と被告人らの逮捕

兵庫県警察本部は、遺体に彫られた入墨の特殊性等の事実から右死体が鳴海であることが確定した九月二二日ころに、鳴海清殺害事件捜査本部(以下捜査本部という。)を設置し、その後一〇月二日ころ着任した森本忠史警部を捜査主任官として本格的捜査に着手した。

捜査は、山口組系暴力団関係者の関与を想定して、その情報収集と遺体の手首及び足首を縛っていた日本手拭、全身に巻き付けられていたガムテープの出所追及を中心に進められた結果、ガムテープが特殊なものであることは判明したものの出所の特定はできず、他方日本手拭に染め抜かれた「創立百周年記念志染小学校」の文字から、兵庫県三木市内の志染小学校が割り出され、さらに右手拭が学校関係者の了解を得ずに勝手に作られ販売された特殊なものであることから、その製造者を捜査したところ前記忠成会三木事務所となっている民家の所有者である小南安正が関係していること及び右日本手拭が五〇〇枚製造され、所在不明のものが約五〇枚あることが判明した。

他方鳴海とともに山口組の追及を逃れて潜伏していた大日本正義団二代目会長吉田芳幸とその内妻が一〇月三日に大阪府警察本部に出頭して収監(別件保釈中であったため)され、同人の供述から、鳴海を被告人ら五名が匿っていたこと及び八月末ころから鳴海との連絡が絶え、右吉田としては忠成会あるいは松田組関係者が鳴海を処分したのではないかとの疑いを抱いていることが判明した。

しかし、その他に鳴海殺害との関連で有力な証拠ないし情報は得られなかったため、捜査本部としては、前記五名の任意出頭を求めて犯人蔵匿の捜査と併せて鳴海殺害との関連を追及する方針を決定し、忠成会最高幹部に対して右五名を任意出頭させるよう依頼し、一〇月七日被告人三名及び因幡弘幸、村岡明美の五名が捜査本部に出頭し、いずれも鳴海蔵匿の事実を認めたため翌八日までに、全員が犯人蔵匿の被疑事実により逮捕された。

7  被告人田中、同秋丸の自白と公訴提起

逮捕後被告人三名は、犯人蔵匿の事実については概ねこれを認めていたが、鳴海殺害の事実との関連については、被告人衣笠は終始否認を続けていたものの、被告人秋丸は同月二七日に至って取調担当の司法警察員岸本典久に対し、被告人衣笠の関与を匂わせる供述を開始し(翌二八日、前記五名及び小南安正が犯人蔵匿の事実により起訴された。)、その後一二月三日までの間に、右岸本に対する供述調書合計一五通、検察官松田為七及び同高田謙に対する供述調書一四通が作成され、そのなかで被告人秋丸は、ほぼ公訴事実に沿う内容の被告人三名の逮捕監禁行為への関与を供述した。さらに被告人田中に関しては、一一月五日に初めて、鳴海を逮捕監禁し、さらに被告人衣笠の殺人を幇助した旨の自白を内容とする供述調書が作成され、その後同様の内容の司法警察員尾迫安男に対する供述調書一五通及び検察官坂井靖及び同高田謙に対する供述調書八通が作成された。

また、同月一〇日、捜査官が被告人田中を遺体発見現場上のドライブウェーに同行して、同被告人に指示させたところ、同被告人は被告人衣笠が鳴海を谷に落としたという地点を特定し、さらに右地点と遺体発見現場を結ぶルートの山腹斜面を捜索した結果、山腹斜面から、遺体を巻いていたものと同種のガムテープ片とパジャマから脱落したと推定されるボタン一個とが発見されたとして押収された。

そこで捜査本部は、同年一一月一三日、右両名の自白を主要な証拠として、被告人衣笠を逮捕監禁、殺人、被告人田中を逮捕監禁、殺人幇助、被告人秋丸を逮捕監禁の各被疑事実により再逮捕し、さらに検察官は同年一二月四日前記公訴事実により被告人三名を起訴した。

二  以上の捜査経過をふまえて、被告人田中、同秋丸の前記各供述調書の証拠能力について検討する。

1  まず所論(1)ないし(3)は、犯人蔵匿の事実による逮捕勾留は、本件である殺人の事実について逮捕するに足りる資料がないため、専ら本件についての取調べをするために行われたいわゆる違法な別件逮捕に該当することを前提とする所論であると解されるところ、令状主義を潜脱する違法な別件逮捕とは、専ら本件について取り調べる目的で、本件について逮捕するに足る疏明資料がないにもかかわらず実質的にその必要がないかまたは必要性の少ない軽微な別事件を利用して身柄拘束をしたうえ、あたかも被疑者に対し本件についての取調受認義務を課したと同様の状態に置いて取り調べることをいうものと解するのが相当である。

本件事案についてこれをみるに、前記一、6認定のとおり、捜査官としては、鳴海殺害の事実についての手がかりを求めて被告人ら五名の任意出頭を求めたことが窺えるが、他方被告人らが認めていたとはいえ、本件犯人蔵匿の罪質、法定刑、態様、ことに長期間に多数の暴力団関係者が関与し、蔵匿場所も数か所を転々としていたことなどから罪証隠滅の可能性もあったことを考慮すると、その取調べと裏付け捜査に相当の時間を要したと認められるから、これによる身柄拘束の必要性は十分存したものというべく、いまだ専ら殺人の事実についての取調べのための身柄拘束であったとまでは認められないうえ、記録によれば、被告人らの任意出頭の当時、すでに鳴海殺害事件の捜査状況について広範なマスコミ報道がなされていたことが窺えるから、被告人らとしても犯人蔵匿の終期と関連して鳴海の殺害についても捜査官から厳しい追及があることを十分承知したうえで任意に出頭したと考えられる。

従って、蔵匿の終期とその後鳴海の処置を如何にしたかとの点についての問答自体は、あたかも被告人らに対し取調受認義務を課したと同様の状態に陥れたうえ行われたとは考えられず、被告人らにとって任意取調べと何等異ならなかったと認めるのが相当である。

以上によれば、前記各調書が違法な別件逮捕勾留中に作成されたとの所論(1)は採用できず、また別件の起訴後の勾留を利用して、本件について、取調受認義務を課したと同様の状態に置いて取り調べたとの所論(2)も前記と同様の理由により支持できず、所論(1)、(2)を前提とする同(3)も採用できない。

2  次に右被告人両名の自白を内容とする供述調書の任意性についての所論(4)について検討するに、被告人田中、同秋丸の両名が虚偽の自白をするに至った動機として主張するところは、原判示のとおりであるが、要するに被告人田中については、捜査官から同人の被告人衣笠への反発を煽られ、軽い殺人幇助にするからと言われ、また妻との面会や飲食の無償提供等の利益供与を受けたというのであり、他方被告人秋丸は、被告人衣笠、同田中について自白しなければ被告人秋丸自身を殺人罪の共犯にするとの脅迫を受けたから、というにある。

これに対する捜査官の原審証言によれば、脅迫や詐術の事実を否定しているものの、勾留中に被告人田中への飲食の無償提供が一部あったこと、捜査官が被告人田中に対し殺人幇助の量刑の一般的な傾向について話したことがあること、殺人の事実についての起訴の当日に、本件を指揮していた高田検事が被告人田中を呼んで何事か話したところ、同被告人が「警察も検察庁も汚いやないか。」と言って興奮状態となったことの各事実が認められる。

また前記捜査主任官森本忠史は、当審において、被告人秋丸の最初の自白調書が作成されたころは、犯人蔵匿の事実による勾留期限が迫っており、しかも大阪府警察本部も前記吉田芳幸の供述をもとに鳴海殺害事件について、捜査をすすめている状況であったにもかかわらず、被告人ら三名が殺人の事実について知らないとの供述を続けていたため焦っていたと述べているところから推して、虚偽自白を誘発し易い事情が無かったともいえない。

従って、少なくとも原判示のように、被告人の供述するような捜査官の言動が全くなかったとか、被告人らの自白に対する影響は考えられないと断ずるのはいささか早計と考えられる。

もっとも、違法な取調べとして被告人らが供述するところは、有形力の行使といった外部から認識し易い態様ではないうえ、取調べ状況に関し他に有力で客観的に明白な証拠のない本件においては、密室ともいえる取調室内において、捜査官の違法不当な言動があったか否か、あるいはその具体的内容がどのようなものであったかを正確に推認することは、困難であるといわざるを得ない。

そこで当裁判所は、前記のような捜査官の供述自体から窺い得る捜査官の言動に加え、後記被告人らの供述内容に対する検討結果をふまえて、その任意性と信用性を併せて判断することとする。

すなわち、本件は、暴力団の抗争にからんだ異常な態様による殺人という、重大事案に関する捜査であり、被告人らが特段の動機がないのに捜査官に対し虚偽の自白をして重い刑責を負担するとは考えられないから、自白の主要な部分に虚偽が含まれている疑いが認められる場合には、翻って捜査官の無理な取調べの存在を推測させるといわざるを得ないからである。

3  特信性についての所論(5)について検討するに、所論も指摘するとおり、原判決は、右各調書を被告人両名相互及び被告人衣笠に対する関係で刑事訴訟法三二一条一項二号書面としてその証拠能力を認めて証拠に挙示していることが明らかである。

ところで特信性とは、一般に、供述者が検察官に対して供述するに際して、内容の真実性を特に担保する外部的付随事情をいうとされているが、本件の場合は、供述者にとって不利益な内容の供述となっており、しかも被告人の供述であるから、外部的付随的事情とは、被告人らが取調べを受けるに至った捜査経過及び取調べにあたって捜査官の違法不当な言動が存した疑いがないかどうかという点を検討して判断せざるを得ないところ、右判断は、前記任意性についての判断とほぼ重複すると考えられる。

従って、右の検討は、前記任意性及び信用性の検討結果と併せて行うこととする。

第六  弁護人高谷昌弘の控訴趣意中、原判示第一の事実に関する事実誤認の主張について

論旨は、原判示第一の犯人蔵匿の事実につき、鳴海が原判示三木事務所に匿われていたのは、遅くとも八月三〇日(なお当審においては、八月二八日と主張する。)までであり、原判決がこれを同年九月一日までと認定したのは、蔵匿期間の終期を誤認したものであり、右事実誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるというにある。

そこで、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、後記第七の二認定のとおり、被告人三名が、九月一日深夜に、三木事務所においてそれまで匿っていた鳴海を逮捕監禁し、ついで翌二日午前零時過ぎころ、被告人衣笠と同田中が緊縛した鳴海を自動車のトランクに詰め込んで連れ出したという内容の被告人田中、同秋丸の自白調書の信用性には多大の疑問があり、従って蔵匿の終期を右自白調書によって認定することはできない。

そうすると、その終期は、三木事務所が自宅でもあるため、同所に頻繁に出入りし、鳴海を目撃していた小南安正(以下小南という。)の供述によらざるを得ないところ、同人は、検察官に対する一一月六日より前に作成された供述調書では、鳴海を三木事務所で最後に見たのは、妻の入院日や知人宅で飲酒した日の記憶から八月二八日か二九日に間違いないと述べていたところ、右一一月六日付調書で、「その後の捜査で鳴海がこの三木事務所から消えたのがほぼ今年の九月一日から二日にかけてということに間違いないということであり」との前置きを置いて、そうであれば鳴海を最後に目撃した日は八月三一日であると訂正し、その後の調書で右日付の間違いないと思う具体的根拠(但し客観的裏付けは無い。)についてるる述べている。

しかしながら、右のように訂正された供述内容は、その供述自体からも明らかなように、同人の記憶に基づくというより、被告人らの自白、ことにその前日、すなわち一一月五日に被告人秋丸に続いて、初めて自白した被告人田中の供述内容に依拠したものと見るのが相当であり、従って被告人らの供述が信用できないとされた以上、それを前提とする小南の訂正後の供述も当然信用性に欠けるといわざるを得ない。

そうすると、蔵匿の終期は、小南の前記訂正前の捜査官に対する供述内容によって認定するのが相当であると考えられるから、結局、前記供述内容のうち、被告人らに有利な八月二八日ころと認定せざるを得ない。

以上によれば、終期を九月一日と認定した原判決には事実誤認が認められることとなるが、原判示の犯人蔵匿の期間を考慮するとその終期が数日前後することによって事実認定あるいは量刑に重大な影響を及ぼすとは考えられず、右誤認は判決に影響することが明らかであるとは認められない。本論旨も理由がない。

第七  検察官及び弁護人の原判示第二の事実に関する事実誤認の主張について

一  弁護人四名の論旨は、要するに、原判決は、罪となるべき事実第二として、被告人三名が鳴海を逮捕監禁し、その後被告人衣笠が単独で同人を殺害したとの事実を認定したが、被告人三名はいずれも右犯行を行っておらずこの点については無罪であるのに、右事実を認定した原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認がある、というにあり、検察官の控訴趣意中事実誤認の論旨は、鳴海の殺害は、被告人田中が被告人衣笠と共謀のうえ行ったものであるのに、原判決が被告人田中について殺人罪の成立を認めず、逮捕監禁罪の成立にとどめたのは、事実を誤認しており、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかである、というにある。

二  当裁判所の判断

1  本件証拠関係の特色

前記第五の一の1ないし7において認定した捜査及び起訴に至る経緯に照らせば、鳴海の逮捕監禁及び殺害の公訴事実に関する証拠関係は、以下のような特色の存在が明らかである。

すなわち、右公訴事実においては、逮捕監禁は三名の共同実行により、鳴海殺害は、被告人衣笠及び被告人田中の共謀により実行されたとされているが、原審においては、被告人三名とも右事実を終始否認した。

ところが本件については、右各行為について、第三者的な目撃者が存在せず、凶器や犯人を直接推認させるに足る証拠物も発見されていないため、被告人らと犯行を結びつける証拠としては、逮捕監禁については、後記内容の被告人秋丸の自白、被告人田中の自白前半部分が、殺人については、被告人田中の自白後半部分が決定的役割を果たしている。

従って、本件公訴事実を認定し得るか否かは、ひとえに被告人秋丸及び田中の捜査段階の自白の信用性によらざるを得ないところ、前述のようにその信用性について原判決、第一次控訴審判決、上告審判決がそれぞれ異なった判断を下していることからも明らかなように、判断資料に乏しい困難な事案である。

また被告人田中及び秋丸はそれぞれ共犯者として起訴されているから、いわゆる共犯者の供述として他の共犯者、ことに捜査段階でも否認を続け、しかも所属暴力団の上位の幹部であった被告人衣笠に責任を押しつける危険性も考えられないではないから、その信用性の判断については、一層慎重を期すべきことはいうまでもない。

そこで、当裁判所は、まず右両自白の内容を摘記したうえ、その信用性判断について問題となる諸点を、あらためて(1)秘密の暴露の有無、(2)客観的証拠との矛盾の有無、(3)不自然な内容ないし変遷の有無、(4)虚偽自白を誘発し易い外部的事情の有無等に分類して個々に検討したうえ、最後にこれらを総合して判断することとする。

2  田中自白の内容

右供述内容は後記のとおり、一部変遷している部分があるものの、おおむね次のとおりである。

(1) 三木事務所までの行動

九月一日午後一一時前ころ、被告人衣笠の呼び出しがあり、忠成会本部で被告人衣笠の運転する日産ローレルに乗り込み、三木事務所(小南方)に向かった。途中広野ゴルフ場の入口手前付近で道路工事中の部分があり片側通行であった。また西神戸有料道路の料金所で被告人衣笠が一〇〇円払っていたようだ。三木事務所の回りの低い鉄柵の切れた部分の入口付近の柵から七、八〇センチメートル離れて車が停車した。

被告人衣笠の指示により車の後部シートから紙袋を持って入った。

(2) 三木事務所における行動

翌九月二日午前零時前ころ、三木事務所内に入ると、被告人秋丸が待っており、被告人衣笠は、「鳴海をくくって連れ出すから、なにかくくるものを持ってこい。」と言ったので、被告人秋丸が台所から日本手拭二本を持ってきた。その後二階に寝ている鳴海を被告人秋丸が起こして一階六畳間に連れて降り、同人が座ると、被告人秋丸がいきなり後ろから抱えるように羽交い締めにし、自分が前記日本手拭でまず足首を緊縛し、さらに手首も縛った。そのころ被告人衣笠が前記紙袋から出したらしい新品のガムテープで頭部、特に鼻部を除き目、口、耳等全部を塞ぐようにぐるぐる巻き付け、被告人秋丸も手伝ってガムテープを巻きつけていた。

その間鳴海は「頭なんでんのん。」と言ったほかは、抵抗らしい抵抗はしなかった。その後緊縛した鳴海を前記ローレルの後部トランクに入れ、被告人衣笠がトランクに詰めるための布団か毛布を持ってこいと言ったとき、事務所の前を車が通りかかったので被告人衣笠があわててトランクを閉めた。その車が徐行して通りすぎてから夏布団と毛布をトランクに詰め込んだ。また被告人秋丸が鳴海の衣服などが入っているらしいビニール袋内に紙袋が入ったものを二階から持って降りてきたのでこれも車に積み込んだ(以上(1)、(2)が田中自白前半部分である。)。

(3) 三木事務所から六甲山中までの行動

被告人衣笠の運転で自分が助手席に同乗して三木事務所を出発し、いったん神戸市内方向に向かった後、自分があまり通行したことのない六甲山の北側から無人の料金所を経由してドライブウェーに入り、一時間半程走って、右手に白っぽい土手のようなものがあり、左手のガードレールが切れたところを少し走って停車した。

(4) 六甲山中における目撃状況と帰路

同所で被告人衣笠と二人で前記状態の鳴海をトランクから出して路上に置いたところ、被告人衣笠は鳴海を左手の路肩から真っ暗な薮の中に放り込むようにし、続いて同人も薮の中に飛び込むように降りて行った。助手席で約二〇分間待っていたところ、被告人衣笠が息をはずませて戻り、二、三回刺してきたとかとどめをさしてきたとかいったのでびっくりして見たところ、同人の左手甲部に卵大の血痕らしいものが見え、右腰付近にサック入りの登山ナイフらしきものを持っていた。

その後被告人衣笠の運転で、約五〇〇メートル進んだ付近でUターンし、元のコースをもどって神戸市内に入り、前記ビニール袋に包まれた紙袋を捨てた(以上(3)、(4)が田中自白後半部分である。)。

3  被告人秋丸自白の内容

同人の自白内容のうち、逮捕監禁の態様に関する部分は、前記田中自白2の部分とほぼ同旨であり、これに加え、主な供述内容として、逮捕監禁した九月一日午後八時ころに鳴海とともにとった夕食は、小南に一枚三〇〇〇円程度のビフテキ用の肉を二人前買いに行かせ、鳴海がこれに味付けをして焼きさらにレタス等の野菜を添え、被告人秋丸が味噌汁を作り、きゅうり、白菜、なすといったありあわせの漬物を出して米飯とともに二人で食べたというものであること、被告人衣笠らが緊縛した鳴海をトランクに入れて三木事務所を出発した直後にピーポーというパトカーか救急車のサイレンの音を聞いて犯行が発覚したかと思ってひやっとしたこと及び鳴海の死体が発見された後その捜査について日本手拭が問題となっていることが一般に報道される前である九月二四日午前三時ころ、小南に対して三木事務所に残っている日本手拭をすべて処分して証拠を残さないよう指示したことの三点が指摘できる。

4  田中自白前半部分と秋丸自白の検討

(1) 原判決が信用性を認めた理由

原判決は、前述のとおり、田中自白後半部分の信用性を否定したが、他方田中自白前半部分と秋丸自白は信用できるとしてその説示するところによれば、両自白に共通する根拠として、被告人両名が鳴海をトランクに詰め込んだ直後に三木事務所前を通りかかった第三者の車があったと供述しているところ、右車両に乗車していた者が被告人らしい三名の人影を目撃していると証言した点をあげるほかは、主として秋丸自白の前記サイレンを聞いた、発覚前に日本手拭の処分をさせたとの供述内容が信用できるから、これに符合する田中自白前半部分も信用できるとの判断に至っていること、すなわち秋丸自白を主体として信用性を認めたことが明らかである。

(2) 秋丸自白の信用性について

イ 秘密の暴露の有無

A ピーポーの音について

被告人秋丸のピーポーという音を聞いたという前記供述が、捜査官が事前に知り得ず、その自白によってはじめて明らかとなった動かし難い事実、すなわち秘密の暴露に該当するか否かについて検討するに、右供述は、被告人秋丸が一一月一六日に至って初めて検察官に対して述べたものであるが、右のような写実的な体験が同人の自白が開始された一〇月二七日ころには全く触れるところがなく、それから相当な日時が経過した前記日時に至ってようやく思い出されたとの点がいささか首肯し難い点が窺えるうえ、記録によれば、右供述に先立つ二日前の一一月一四日に捜査本部から三木消防署広野分署長に対して、九月一日午前零時から四〇分ころまでの間救急車出動の有無について照会がなされている(回答書は同月一六日付)ことが明らかである。そうすると捜査官側が事前に電話等の仮回答によって、九月二日午前零時一一分ころ三木事務所付近にある三木市消防署広野分署から救急車が出動したことを知っていた可能性が十分考えられるから、この音を聞いてひやっとしたとの被告人秋丸供述が秘密の暴露に該当するとは解されない。

B 日本手拭の処分について

なるほど原判決も指摘するように、被告人秋丸が犯人蔵匿にしか関わっていないとすれば、同人は鳴海の手足を緊縛していたと同種の日本手拭が小南方にあることを新聞等の報道を通じる以外に知り得ないこととなるから、右報道のなされる前に小南にその処分を命じたとの供述が事実であれば、秘密の暴露に類する重大な事由といえよう。

たしかに、記録によれば、右指示が九月二四日の午前二時ないし三時ころになされたことは、これに対応する小南の捜査段階の供述によっても裏付けられており、さらに鳴海の緊縛に創立百周年記念志染小学校と染められた日本手拭が用いられ、これが捜査の対象となっているとの新聞報道は、神戸新聞の三木版では同月二四日付朝刊に掲載されたことが明らかである。

しかしながら、第一次控訴審において、弁護人から提出された同新聞の神戸市内版コピーによれば、同様の内容がその前日である同月二三日付ですでに報道されていることが明らかにされており、しかも三木市は神戸市に隣接していることは地理上明白な事実である。そうすると、被告人秋丸が右新聞を見る機会がなかったとはいえず、これを見た後、日本手拭が鳴海蔵匿の事実の証拠となり得ることを考慮して、その犯跡を隠すために前記のような指示をした可能性も否定できない。

この点についての原判決の判断を是認した第一次控訴審は、控訴審で提出された前記証拠を十分検討した形跡がなく、いささか杜撰のそしりを免れない。

また、もし被告人秋丸が逮捕監禁に関与しておれば、鳴海を緊縛するため、同人自身が台所から出したものと同種の残りの日本手拭の処分を直ちに自ら行わず、鳴海の死体発見の報道がなされてから約一週間後に、しかも逮捕監禁の犯行に全く関与していない小南にその処分を命ずるのも、鳴海を緊縛した犯人の行動としては不自然であると考えられる。

以上の検討結果によれば、日本手拭の処分を命じたことをもって被告人秋丸の逮捕監禁行為への関与を推認させる事情と解することも相当ではない。

ロ 客観的証拠との矛盾の有無

A 第三者との遭遇について

被告人田中、同秋丸の前記自白によれば、小南方前の路上に駐車中の被告人衣笠の車のトランクに鳴海を詰め込んだ直後に、他の車が通過した事実を供述しているところ、原審証人萩原努、同本岡昌幸の供述によれば、小南方付近のアパートに居住していた萩原とその友人の本岡が、九月一日の夜釣りの帰途に車で小南方前を通りかかった際に、玄関前に三人の男が立っていたのを目撃したというのであるから、一見前記田中、秋丸供述を裏付けているかの如く解されないでもない。

しかしながら、原判決も指摘するように、萩原が小南方の近所に住んでいたため警察官の聞込み捜査を受け、その結果捜査本部においては、萩原らが九月二日午前零時過ぎころ、三木事務所前を通りかかったことを被告人両名の自白以前に知っていたことが窺えるから右事実が秘密の暴露に該当しないことは明らかである。

さらに原判決挙示の関係証拠によれば、小南方の前の道路は有効幅員約五メートルであって必ずしも広いとはいえず、しかも両名ともかねて小南方に暴力団風の男が出入りしていることを知っており、かつ普段から交通量や駐車車両が少なく、深夜でもあったから三人に不当な言いがかりを受けないよう、注意深く通過しようとして、ライトを下向きに切り替え、停車場所も普通であれば三人の男達の前付近になってしまうため、これを避けて少し通りすぎてから止まったと供述していることが認められる。

ところが、原審において、証人萩原は、三木事務所の前に車が駐車していた記憶がはっきりしないと供述し、車を運転していた同本岡は駐車している車はなかったと思うと供述している。

もし被告人衣笠の日産ローレルが駐車していたのであれば、同車の車幅は約1.68メートルあり、しかも前記のとおり小南方の柵から約七、八〇センチメートル離して駐車していたというのであるから、前記道路の幅員からみて他車が無意識に通行できる状態であったとは考えられないし、前記のごとく両名は、暴力団員風の者に因縁をつけられないように特に慎重な配慮をしていたというのであるから、その者らの付近にある車両についての記憶が明確でないということは不可解というほかはない。

以上のように、萩原ら両名が三人の男が立っていることのみ明確に供述しながら、車両についての記憶がはっきりしないと供述していることに照らすと、少なくとも、小南方前に車両が駐車していなかったのではないかという合理的疑いを抱く余地があり得るといわなければならない。

この点に関し、原判決は、萩原らの注意が主として三人の男に向けられていたと考えられるから、車についての記憶があいまいであるからといって駐車していなかったと断ずることはできないと説示し、第一次控訴審も右判断を是認しているが、萩原らは、さして広くない深夜の道路において、三人の暴力団員風の男達の前を通過しようとして、前記のように細心の注意を払っていたと考えるのが自然であって、人には気付いたが、その前付近に駐車している普通乗用自動車を見落としたという可能性は極めて小さいといわざるを得ず、特段の事情もないのにその可能性が十分あったかのように説示する原判決の右説示は説得力に欠けるといわなければならない。

B 胃内容物との矛盾

鳴海を逮捕監禁した日に鳴海とともにとった夕食に関する被告人秋丸の前記供述内容は、はなはだ詳細で具体的であるが、これは、被告人衣笠の命令により、鳴海の味噌汁内に睡眠薬らしいものを混入したが、同人が飲まなかったため失敗したとの供述と関連しているためと考えられる。

そうすると、右夕食に関する被告人秋丸の記憶は鮮明で動かし難いというべきであるのに、前記認定のごとく鳴海の遺体からは、死亡の二ないし四時間前に胃に流入したと考えられる食物として、米飯とキャベツのほか人参、漬物と考えられる青菜が発見され、逆に、肉片、レタスは発見されなかったというのであるから、解剖の結果と前記供述内容との間に矛盾が認められる。

原判決は、肉は死亡後も消化酵素が働いて消失したと考えられると指摘し、第一次控訴審判決は、レタス等という供述には人参が含まれていたことも否定できないと判示して、前記供述内容の信用性は左右されないとする。

なるほど、そのような可能性も一応考えられないではないが、その他同じ食事に入っていたと考えられるキャベツとスグキ、野沢菜類と推定される漬物の青菜の点についての説明が全くなされていない。

さらに鳴海の内妻であった川口しのぶの司法警察員に対する昭和五三年九月三〇日付供述調書によれば、鳴海は食物に関する嗜好として、とりわけ高菜(スグキ、野沢菜とともに広義のアブラナ科に属する。)の漬物が大好物であったとの特異な供述がなされていることが明らかであるから、前記青菜は高菜類の漬物と考えるのが最も自然である。

これに加え、次に検討するように、鳴海が長期の潜伏中にしてはやや高額の現金を腹巻内に入れていたことも併せ考慮すると、鳴海は最後の食事を、持て余し気味に匿ってくれていた被告人秋丸と共にしたのではなく、当面の逃走資金の提供が受けられしかも好物を注文できるような、もっとくつろいだ環境で食事したのではないかとの合理的な疑問が生ずる余地があるといわなければならない。

そうすると、被告人秋丸の食事に関する詳細な供述内容は、当然、同人が逮捕監禁行為に及んだ日の記憶の正確性を担保する役割を担うものであるから、その内容に前記疑問が生ずるということは、同人の自白に虚偽が含まれている可能性を示しているといわざるを得ない。

C 現金三〇万円の存在について

前述のごとく鳴海の遺体の腹巻内には、整理された形の現金三〇万円が残されていたが、関係証拠によれば、鳴海は潜伏中、ことに二度目に三木事務所に匿われた八月二二日以降は、被告人衣笠らに外出、他人との接触を厳禁され、同事務所で起居を共にしていた被告人秋丸もこれを監視していたことが認められる。

他方、植悦子の検察官に対する昭和五三年一〇月三一日付供述調書謄本によれば、同女は、八月一二日ころ、隠れ家から無断外出した鳴海に大阪市内で会ったこと及びその際鳴海が所持していた現金約二〇万円のうち、一八万円を受領したことの各事実が認められ、記録を検討しても、その後、八月二二日ころまでに鳴海がまとまった現金を入手する機会があったことは窺えない。

そうすると、鳴海が八月二二日以降死亡までに、第三者から現金三〇万円の贈与を受けた可能性が生ずることとなるが、鳴海と起居を共にしていた被告人秋丸が、右事実について全く供述していないことを考慮すると、鳴海が三木事務所を出てから、知人ないし友人に会ったのではないかとの疑念が生ずる。

ハ 内容の不自然性あるいは変遷の有無

右の点については、原判決は数点にわたってその存在を指摘しているが、結局、いずれも供述内容の信用性に影響するほどの不自然はないと説示する。

しかしながら、原判決の指摘する諸点のうち日本手拭に関する供述の変遷には看過し難い不自然性があるといわなければならない。

すなわち、小南方において、鳴海の手足を緊縛した日本手拭をどこから出したかについて、被告人秋丸は、当初は台所に掛けてあった使い古しの日本手拭を持ってきたと供述し、次に台所にあった新品を取り出した、台所の水屋に置いてあったのし紙付きの日本手拭を冷蔵庫の上に置いた、台所の水屋から出した新品の日本手拭ののし紙を破りごみ箱に捨てたが、日本手拭のみを田中に渡したか冷蔵庫の上に置いたかはっきりしない、とその自白内容を変化させている。

しかし、被告人秋丸は、かっての仲間であり、しばらく起居を共にした鳴海に対して、被告人衣笠の命令によりしぶしぶ逮捕監禁に及んだというのであるから、右体験は忘れ難いものであり、かつ右体験と結びついた日本手拭についての記憶も、逮捕される二か月程度の期間には薄れるものではないと考えるのが自然である。

にもかかわらず、前記のように、台所に掛けてあった中古品を持ってきたとかのし紙付きの新品を持ってきたとか全く正反対の供述をしている点は、原判決がいうように記憶の薄れというような説明で納得し得る性質のものとは考えられない。

(3) 田中自白前半部分の信用性について

記録を検討しても、右自白には被告人秋丸自白のような秘密の暴露に類する内容は含まれていない。

イ 客観的証拠との矛盾の有無

原判決も指摘するが、被告人田中は、三木事務所に向かう途中広野ゴルフ場の入口手前付近で道路工事が行われていたと供述し、また三木事務所の門に鉄扉が設置されていた旨その図面まで作成しているが、右供述後の捜査の結果、九月一日ころ広野ゴルフ場前の道路工事は終了しており、鉄扉は事件後に設置されたことが明らかとなって、客観的事実と矛盾した供述内容となっている。

右内容は、必ずしも本件の核心にかかわるような部分ではなく、しかも記憶違いも十分あり得る事柄であるが、悔悟反省して自白した人間が正直に述べる場合には、このような本質的でない部分については本件との関連が浅いだけにむしろ記憶が薄れ、不明確な内容しか述べられないのが通常であると考えられるところ、右内容は不自然に具体的であり、ことに関係証拠によれば、鉄扉は被告人田中の逮捕直後の一〇月一〇日に完成したことが明らかであるから、同人は自ら見るべくもない鉄扉の図面を書いたこととなり、そうすると、広野ゴルフ場入口付近の道路工事の点を含め、右各供述は、捜査官の記憶ないし体験した事実を誤導したのではないかとの疑いが濃厚である。

従って、右事柄自体は些細な点ではあるが、同人の供述内容に、捜査官の誤った認識が導入された疑いが生じ得るという意味では田中自白内容全体の信用性に影響するといわざるを得ない。

この点に関し、自白全体に影響することはないと説示する原判決及びこれを是認した第一次控訴審の見解は、皮相であって支持できない。

さらに、原判決が触れていない事柄であるが、司法警察員作成の昭和五三年一一月一四日付検証調書及び当審証人森本忠史の供述によれば、被告人衣笠が本件犯行に用いたとされる日産ローレルを捜査本部において押収してそのトランク内を綿密に検査し、ルミノール反応の有無を調査するとともに、毛布ないし布団の繊維類の発見に努めたが、ついに一本も発見されず、捜査本部においては、犯人側で徹底した水洗い等により罪証を湮滅したものと理解したことが認められる。

しかし、被告人らがそのような行為に及んだ形跡が全くないばかりか、暴力団組員である被告人らが仮にそのような罪証隠滅工作を行ったとしても、全部の繊維類を洗い流すことができたと考えるのもいささか首肯し難い(被告人田中の自白によれば、緊縛した鳴海をトランクに入れ、その隙間に布団、毛布を詰めて約一時間半ほど山道を走行したというのである。)見解というほかはないし、もしそのような徹底した水洗いの必要があると感じるのであれば何故車両自体を直ちに廃棄処分しなかったかという疑問も生じることとなる。

従って、この点においても、田中自白の前半部分には、客観的な捜査結果と矛盾があると考えられる。

ロ 内容の不自然な変遷の有無

田中自白前半部分にも、原判決が指摘する内容の変遷が認められる。

すなわち、鳴海を日本手拭で緊縛する方法について当初は、日本酒の一升瓶を二本落ちないようにくくりつけるときのくくり方であったと特殊な方法を供述していたが、その後の調書では、足は縦結び、手は真結びに結んだと変更している。

しかしながら、被告人田中は、周到な準備もなく、被告人衣笠に命ぜられるままに、いきなり鳴海を緊縛したというのであるから、そもそもその緊縛の方法自体を特定できるとは考え難いのであって、酒瓶のくくり方にしたとか手と足を別のくくり方にしたなどという供述内容はそれ自体不自然極まりなく、遺体の状況を見た捜査官による誘導ないし誤導の結果と考えるのが自然である。

原判決は、結び方に関する供述の変遷に不自然性はないと結論付けているが、右に照らして是認し難い。

ハ 不自然な内容の有無

前記秋丸自白及び田中自白の前半部分によれば、鳴海を緊縛した際、鳴海は「頭なんでんのん。」といったほか大した抵抗を示さなかったというのであるが、もともと同人は田岡組長を狙撃したように気性が激しいことが窺え、また前記認定のように長期間の潜伏生活に疲れ、大阪に戻りたいと言って被告人らの態度にいらだっていたのであり、関係証拠によれば、鳴海の失跡直前ころ、鳴海が小南方で包丁を振り上げて箱に切りつけた事実があったことが認められ、これらによれば、鳴海が被告人ら及び松田組の対応に不満ないし不信感を募らせていたことが窺われるから、いきなり被告人秋丸から羽交い締めにされたときに、鳴海としてはむしろ相当な抵抗をしたと見るのが自然であるのに、そのような点について何等触れず、かえって大した抵抗を示さなかったとする前記自白内容は不可思議というほかはない。

(4) 田中自白前半部分と秋丸自白の信用性についての総合的検討

以上検討した結果によれば、田中自白前半部分と秋丸自白の内容には、種々の疑問点があるが、とりわけ、最もその信用性を強く裏付けていると考えられる、萩原らとの遭遇の事実が、かえって被告人衣笠の車両の存在(監禁行為の核心ともいえる事実である。)に疑問を生じさせている点は重要である。

すなわち、萩原らは全くの第三者でその証言内容の信用性は動かし難いところ、同人らが駐車車両を目撃していない可能性が高いから、右事実からは、被告人らが当日の深夜は本件犯行とは別の行動をしていたのではないかとの合理的疑問が発生するからである。

また秋丸自白のピーポーの音、日本手拭の処分に関する供述、被告人田中自白の道路工事、鉄扉に関する供述に見られるように、その供述内容に捜査官の誤導の影が色濃く窺われる点もその信用性を考慮するうえで注意を要すると考えられる。

さらに、この点は検察官も控訴趣意において、指摘するところであるが、被告人田中自白の前半と後半の信用性を別異に判断した原判決は不合理といわざるを得ない。

なぜなら、その内容は、前記のとおり、一連の犯行経過を述べた内容であるから、原判決がいうように、最も重大な鳴海殺害の事実に直接関連する事実を述べた後半部分が信用できないというのであれば、より軽微な内容を述べた前半部分の信用性についても基本的に疑問を抱くべきであり、とりわけトランクに入れて山中まで運び、急な山腹斜面を引きずり降ろして刺殺したとする後半部分の筋書きがなければ、日本手拭とガムテープで鳴海を徹底的に緊縛したが、鼻の部分のみは開けていたとする特異な逮捕監禁の態様もほとんど意味がないこととならざるを得ないからである。

従って、当裁判所は、後記の田中自白後半部分の検討結果をも併せ考慮し、被告人田中自白前半部分とこれとほぼ同内容の秋丸自白は、到底有罪の証拠となし得ないと判断した次第である。

5  田中自白後半部分の検討

(1) 秘密の暴露の有無

前記田中自白の後半部分の内容の主要な部分に、秘密の暴露が含まれているか否かの点について検討するに、原審証人尾迫安男、当審証人森本忠史によれば、昭和五三年一一月五日に被告人田中が前記のような自白をした後である同月一〇日に、初めて同人を六甲山の遺体発見現場付近に同行したところ、同人がここで被告人衣笠が鳴海を薮内に放り投げて降りて行ったと指示説明をしたが、右指示地点と約一五〇メートル下の遺体発見地点を結ぶ斜面を多数の捜査員を動員して捜索したところ、同斜面から遺体に巻かれていたものと同種のガムテープ片に毛髪らしいものが付着したもの及び鳴海の着用していたパジャマのボタンと同種のボタン一個が発見された、というのであるから、右の点が動かし難いとすれば、被告人田中の自白の主要な部分を強く裏付けるものと考えられる。

しかしながら、弁護人らが指摘するように、右捜査結果に対しては以下のような種々の疑問があり、到底秘密の暴露に該当するとは認められない。

イ 鳴海を降ろした地点の特定

前記捜査官らの供述によれば、被告人田中は、前記同行見分の日に警察車両に同乗して現場付近にさしかかった際、若干迷ったが間もなく前記地点(以下降下地点という。)を指示したというのである。

しかしながら、原審及び当審における検証の結果によれば、現場付近は同じようなS字カーブが連続し、片側は山腹、反対側はさしたる特徴のない灌木の繁る谷となった状態で、一見したのみでは目印となるようなものがほとんどないといっても過言ではない状態で、いわば全く特徴のないドライブウェー上であることが明らかであるから、以前から現場の状況を知悉しているわけではなく、同行見分の、約二か月前の深夜に一回来たのみ、しかも運転したのではなく助手席に同乗していたにすぎないという被告人田中が、いきなり何の誘導ないし指示もなく、明暗や視界の全く異なる昼間にその場所を、たとえおおよそであれ、指示し得たとは到底考えられない。

検察官は、この点について、特異な犯行地点でしかも通過地点ではなく停止地点であるから記憶していても不思議ではない、と指摘するが、そうであればなんらかの目標物と関連して記憶していると考えるのが自然である。しかるに、田中自白は、山腹の側に工事を加えたらしい部分が切れて、谷側に少し大きな木が生えたところという甚だ漠然とした特定の仕方を言うのみであって、右目標物で前記降下地点を特定することは、現場の状況に照らすと抽象的に過ぎ、不可能といわざるを得ない。

むしろ原判決も指摘するように、右同行見分のなされる前に作成された司法警察員作成の昭和五三年九月二五日付検証調書によれば、捜査本部は、当然のことながら、遺体発見現場からドライブウェーに上り下りできる可能性のある東西南北すべてのコースを精密に検討し、その結果、遺体発見現場からドライブウェーに登ることが可能なルートは、一応、遺体発見地点からやや東側の降下地点に出るコースか、または西側の砂防ダムが連続したコースの二本しかないこと、しかし後者のルートはダム堰堤に梯子が架けられているなどしているため緊縛した人間を骨折もさせずに一人で降ろすことはおよそ不可能と考えられると判断したことが認められる。

従って、捜査官側には、遺体発見地点に達するルートの出発点としては本件降下地点しかないことを前記被告人田中の指示をまつまでもなく容易に推定していたと考えるのが相当である。

右指示説明以前である一一月八日ころの夜間に、降下地点付近を降りてみたことがあるとの、高田主任検察官の原審における証言も右認定を裏付けるものと考えられる。

以上によれば、降下地点が被告人田中の供述によって初めて特定できたと強調する捜査官らの供述は信用し難い。

ロ 遺留物の発見

前記降下地点から遺体発見現場へのルートから発見されたというガムテープ片及びボタンについて検討するに、兵庫県警察本部刑事部鑑識課司法警察員大森良春作成の昭和五三年一一月二〇日付実況見分調書及び同人の原審における供述によれば、ガムテープは一一枚が重なりあってよろい状になり長い部分で全長約1.13メートルあり、これを円形にすると切断面が合致し、その切断面は刃物と考えられること、右テープの粘着面に頭髪でも陰毛でもない毛髪三、四本のほか土、枯葉が付着した状態で発見されたことが認められる。

以上によれば、右ガムテープは、鳴海を引きずり降ろす際に、權木等に胴体部分のテープが引っ掛かるなどしたため、犯人が刃物で切断したものが遺留されたと考えるほかはない。

しかしながら、右推認には疑問点が多い。

まず被告人秋丸、同田中の自白する逮捕監禁の態様を前提とする限り、乱闘といった状態は窺えないから、パジャマの上から胴体部分に巻かれたと想像されるガムテープの内側粘着面に複数の毛髪が発見されるのをいささか不可解と考えられる。

さらにガムテープの発見者から報告を受けた前記大森は、鑑識課の責任者であるから、まず毛髪の発見された部分の近接写真を撮影させたうえ、これを慎重に剥離して採取管に入れて鑑定に付したのであって、このような取扱状況に照らせば、たとえ粘着面の付着物を外見から見分したのみであったからといっても、同人が付着している毛髪の性質、数やその他パジャマや絨毯の繊維類が付着しているか否かについてこれを誤認する可能性は到底考えられないところであるが、右ガムテープの粘着面から発見されたとして一二本もの毛髪が鑑定に付され、かつこれが鳴海の頭髪と極めて酷似するとの鑑定結果が出され、さらにその際、同じガムテープの粘着面から鳴海の遺体が着用していたパジャマ及び小南方一階六畳間の絨毯と同色同質の繊維片が発見されているという。とりわけ、右ガムテープに付着していた毛髪の数と性質が発見時と著しく異なっている点は異常であって、当裁判所も原判決と同様、右ガムテープには、捜査官側におけるなんらかの作為の余地を考えざるを得ないから、ガムテープ発見の事実が田中自白を裏付けるべき有力な証拠と認めることはできない。

これに加え、前記捜査主任官森本忠史が本件当時作成していた日記式捜査メモ(大学ノート)を当審において取り調べたところ、その一一月八日ないし九日ころ記載したと推定される頁(すなわち次の頁から数枚にわたって、一一月九日の警察庁長官訓示の内容がメモされた部分の直前の頁)に、「ボタン道〜46.5」、「ガム全長133」との記載があるところ、前記検証調書と対比すると、ボタン道〜46.5の記載は、ボタンが前記降下地点から46.5メートルの場所から発見されたのと数値において一致し、ガム全長133の記載は、ガムテープの全長一一三センチメートルと類似した数値を示しているのであって、この事実は、捜査官が前記ガムテープとボタンの存在を発見前すでに知っていた、との弁護人指摘の疑問を深めるものといわなければならない。

さらに、ボタン発見者である原審証人西岡見一が、捜索開始前に、上司から今日はボタンが見つかるはずであるとの訓示を受けた旨述べていることを併せ考慮すると一層疑わしいといわざるを得ない。

以上、検討したとおり、降下地点の特定、ガムテープ、ボタンの発見の事実は、被告人田中の自白内容の信用性を裏付ける秘密の暴露と解するには、解明し難い疑問が多いと考えられる。

(2) 客観的証拠との矛盾の有無

イ 降下地点の地形

原審及び当審における検証の結果によれば、降下地点から遺体発見現場に至る斜面は、原判決及び上告審判決が指摘するとおり、三〇度ないし四五度の急斜面で、部分的に傾斜六〇度ないし九〇度の高さ1.1メートルないし2.4メートルの石積部分があり、昼間でも人の通行が不可能ではないがロープ等を使わなければ、極めて困難であり、付近は照明が全くなく、六甲山山頂から届く薄明りも繁茂した樹木に遮られ、照明器具なしに深夜無事降下することは、往復に要する時間の点を問題にするまでもなくほとんど不可能とも考えられる地形であると認められる。

従って、原審においては、鳴海の死体に似せた重さ約七〇キロの人形を被告人衣笠役の裁判所書記官が前記降下地点から遺体発見現場まで降ろして元の位置に戻るという昼間実験は実施されたものの、予定された夜間実験はその危険性を考慮し、検察官及び弁護人の同意を得て中止したところである。

検察官は、実験はあくまで実験であり、昼間の実験において裁判所書記官が約一九分でようやく戻ったからといって、人物が異なることや緊張感の違い等を考慮すると、被告人田中の自白の態様、すなわち、被告人衣笠が、深夜、背広、革靴姿で、懐中電灯もロープも所持せず、前記降下地点から遺体発見現場まで引きずるなどして鳴海を運んで刺殺した後、約二〇分位で戻ってきたとの犯行も不可能とまではいえないと主張する。

しかしながら、当審における証拠調べの結果によれば、前記原審の夜間実験中止後の昭和五五年一〇月九日に、捜査本部が独自に夜間実験を実施していた事実が明らかとなったが、その結果によっても、被告人田中の自白する態様による被告人衣笠の犯行の困難性がより明確となったといわなければならない。

すなわち、右検証調書(正確には、公判係属中であるから、公判裁判所の関与しない検証は考えられないが、誤って神戸地方裁判所裁判官が検証令状を発付したため、公判裁判所の関知しない検証調書が作成された。)は、裁判所の夜間検証が中止されたため、捜査本部において改めて鳴海に似せた人形を作り、被告人衣笠と年齢、体格の似た警察官に降下地点から遺体発見現場まで夜間運ばせたが、右警察官はドライブウェーに戻るまで約五四分かかり、しかも降下地点から約一五メートルずれた場所に戻ってしまったという結果を記載したものである。

右検証調書は、捜査本部において、証拠価値がないと判断して、差戻し後の当審に至るまでその存在さえ明確でなかったが、右実験結果は、警察官が行ってさえ無理な態様の行動を被告人衣笠がひとりで行った旨、同田中が供述していることを示す、被告人らに極めて有利な結果を明らかにしたものということができる。

しかも、右に検討した行為者の行動の困難性の点のみならず、右捜査本部独自の夜間実験及び原審における前記昼間実験の際には、現場の足場の悪さ、険阻な地形のため、いずれの実験のときにも実験者の着衣、靴が泥まみれとなり、人形もかなり損傷したことが明らかである。

このような事実は、深夜、被告人衣笠が約七〇キロの鳴海を一人で引きずり下ろしたとした場合には、同人及び鳴海の着衣等に相当の損傷が生ずることを明確に示している。

ところが、前記認定のようには遺体に骨折が見られず、パジャマには刺殺跡と推定されるような傷以外に明確な裂き傷等が認められなかったのみならず、被告人田中の供述中には、当然気付くはずの被告人衣笠の衣服や靴のひどい汚れについての供述が全くないのであるから、結局被告人田中の同衣笠の行動に関する供述内容は、現場の状況に明らかに反しているといわざるを得ない。

第一次控訴審判決は右の点について、ガムテープに擦過痕があるから鳴海の着衣の損傷がそれほど大きくなくても不自然ではないと説示するが、右判断は、犯人の着衣の汚れや損傷との総合判断をせず、部分的な可能性を指摘するにすぎず到底説得力を持つものとはいえない。

以上検討した結果によれば、上告審判決の指摘した疑問点は当審の現場検証の結果によっても解消することができず、原審が投げ掛けた本論点に関する種々の疑問を現場に赴くことなく、書面上の検討のみによって「右往復経路の険阻さや、本件犯行時との原判決のいうような条件の差異を考慮しても、本件犯人は右実験値に二、三分、多くても数分プラスした時間内には往復できたものと考えられる。」と断じた第一次控訴審の判断は、経験則を軽視した誤りがあるというほかない。

ロ 下顎歯四本の欠落について

前記第五の一の5認定のとおり鳴海の遺体には、下前歯四本がなく、関係証拠によれば、同人には生前前歯の欠落がなかったことが明らかである。

従って、右前歯は同人の生前に暴力的に抜去されたか死後脱落したと考えるほかはない。

ところが捜査の結果、うつ伏せで、鼻部を除いて口、顎部分を含め顔面部をガムテープで全面的に巻かれた状態で放置されていた遺体の下付近あるいは頭蓋骨内から前歯は一本も発見されていない。

そのためリンチの可能性が考えられるが、そうであれば、上告審判決も摘示するように、被告人田中、同秋丸の供述のなかに、逮捕監禁時に鳴海が顔面部に強い暴行を受けたような供述が全く含まれていないから、右供述内容は客観的証拠と矛盾することとなる。

検察官はこの点について、舌骨、甲状軟骨も腐敗で消失しているから、下前歯が歯肉の腐敗に伴い脱落し、喉の空間を通って外部に出て、雨に流され、あるいは小石等に混じって発見されなかった可能性もあるという。

たしかにそのような可能性も絶無とはいえないが、司法警察員作成の昭和五三年九月二五日付検証調書によれば、遺体発見現場付近はルミノール反応の有無を調べるため徹底的に検査及び捜索されたことが認められ、四本の歯を全部見落としたとの可能性は極めて低いといわざるを得ない。

また、当審証人森本忠史によれば、捜査本部としても歯の消失に不審を抱き、小南方の便所の中までくまなく捜索したというのであるから、遺体発見現場で前歯が全く発見できなかったという事実は、雨によって流出した可能性もあるとの安易な説明で満足すべき性質のものではないと解される。

従って、検察官の所論を考慮に容れても、上告審判決が指摘した、歯の脱落の点についての被告人田中自白の客観的証拠との矛盾につき、合理的な説明が可能になるものとは考えられない。

(3) 内容の不自然な変遷ないし内容自体の不自然性の有無

イ 内容の変遷

原判決が指摘するように被告人田中は、前記降下地点から神戸市内に帰るため、降下地点から約三〇メートル先でユーターンしたと当初述べていたところ、前記現場に同行した一一月一〇日付検察官に対する供述調書では、約五〇〇メートル先と変更している。

この点について、第一次控訴審判決は、被告人田中が現場説明に赴いたための記憶の訂正にすぎないと説明する。

しかしながら、右調書において被告人田中は「一枚の図面に書くため、このように近いところでユーターンしたようになっていますが、五〇〇メートル位はゆうに走っているように思います。」と約三〇メートルというような供述をしたことがないかのような苦しい説明をしているのであって、記憶の訂正との説明は正確とはいえない。

原判決もいうように、運転の経験豊富であるという被告人田中が、転回場所について前記のような思い違いをすると考えるのも不自然であるというほかないから、結局右供述内容の変遷は、前述のように前半部分にも現れていた本来犯行に直接関係のない細部の記憶が捜査官の誘導のまま変遷している一事例とも考えられる。

ロ 内容自体の不自然性

上告審判決が指摘するように、六甲山中への運転、鳴海の山中での運搬と刺殺、帰途の運転をすべて被告人衣笠がしたとの被告人田中の供述は不自然極まるといわざるを得ない。

同自白によれば、鳴海を逮捕監禁せよという被告人衣笠の命令に内心反発していたからそのような態度をとったと説明し、第一次控訴審判決も右説明は不自然ではないというが、通常みられる暴力団社会の上下関係の厳しさ及び当時山口組系暴力団組員により反山口組系幹部射殺事件が相次ぎ、忠成会としても存亡の危機にあったという事実が関係証拠により認められることをも考慮すると、被告人田中が幹部に就任していた忠成会を、危機に陥れかねない鳴海の処分に関する被告人衣笠の命令にあからさまに反対して、運転もせず深夜の山中での運搬の手伝いもしなかった、しかも被告人衣笠はそれを取り立ててとがめるでもなく、田中を車中に待たせたまま自ら危険で非常に苦難を伴う行動を遂行したという被告人田中の供述内容は、いかにも信じ難いというほかはない。

(4) 虚偽自白を誘発する動機、状況の有無

前記森本証人によれば、本件鳴海殺害犯人の捜査当時、京都府警、大阪府警との競争、山口組をめぐる暴力団抗争の激化に対する社会の非難と上層部の督励のため、捜査本部にはかなりの焦りがあったことを推認させる。

右の事実は、本件捜査に従事していた警察官である原審証人岸本典久が、吉田芳幸が大阪府警に収監されたころ、三府県警が三つ巴で互にライバル視し、自分が大阪府警に赴いて捜査状況を内偵しようとしても、大阪府警の捜査員は吉田の供述内容について「忠成会、わかるやろ」としか漏らしてくれず非常に困った、また大阪府警がこそこそと捜査し、被告人らの逮捕も予想される状況であったとの趣旨の供述をしていることからも裏付けられるといわなければならない。

そうすると、当時の捜査本部は、管内で遺体が発見された鳴海殺害事件の解決を多方面の期待を受けて早急に進めざるを得ないうえ、有力な証拠を大阪府警に最初に獲得されたため極めて困難な立場にあったことが容易に推測でき、かつ前記森本証人が、当審において、裁判長の問いに対して「本件は座りの悪い事件であった。」と述懐したような捜査結果を生んだことを考慮すると、焦慮の余り諸々の要素が重なって虚偽の自白を誘発し易い環境にあったと認めざるを得ない。

(5) 田中自白後半部分の総合的検討

以上の検討結果によれば、後半部分にも種々の疑問点が多いが、とりわけ田中自白による被告人衣笠の犯行態様が、現場の特殊な地形を見れば当然生ずる疑問に全く答えていないばかりかむしろこれと相反する内容となっている点は、その内容の核心的部分の信用性を著しく損なうものといわなければならない。

また捜査官の証拠物についての作為を疑わせる事実の存在も軽視できない。

従って、田中自白の後半部分の信用性もこれを認めることができない。

第八  自白の任意性と特信性について

以上のとおり、田中自白及び秋丸自白には、明らかに客観的事実に反する内容や不自然な内容がその核心的部分に含まれているから、信用できないというほかはないが、翻って、同人らがそのような自己に不利益な虚偽の供述をする特段の事情は、記録を検討してもうかがえないうえ、前記捜査本部の置かれていた背景事情をも考慮すると、被告人秋丸については「殺人にするぞ」との脅迫を受けた、被告人田中については被告人衣笠への反発を煽られたうえ「殺人幇助にする」との不適切な言質があり、あるいは有利な待遇があったため、次第に虚偽の自白をするような心情に負い込まれるようになったとの被告人らの弁解もあながち荒唐無稽なものとして一蹴することはできない。

このような事情をふまえて、原判決挙示の自白を内容とする被告人秋丸、同田中の捜査官に対する各供述調書の任意性、特信性を検討するに、まず任意性に関しては、前記認定のような捜査状況と供述内容に照らすと、被告人らの自白が任意にされたものでない疑いを想定することも十分考えられるが、他方前記第五の一の6、7認定の捜査状況によれば、捜査本部は被告人らに無理な自白を迫ることができるような有力な材料を全く持っていなかったこと、そのため捜査本部はわざわざ暴力団の最高幹部に依頼して被告人らを任意出頭させており、無理な取調べがし難い状況にあったこと及び被告人田中、秋丸と基本的に同じ立場にあったと考えられる被告人衣笠が終始否認を続け得たことの各事実が明らかであり、これらを総合考察すると、捜査官は強制的あるいは威迫的な取調べというよりむしろ被告人らの意を迎えるような取調べをしていたのではないかと疑うのが自然であり、また右のような取調べが違法な利益誘導、詐術にまで及んでいたとは解されない。

以上によれば、被告人田中、同秋丸の自白調書の任意性に関し、いま直ちにこれを欠如するものと断定するまでは至らないというべきである。

また、これらの各供述調書のうち検察官に対するものの特信性についても、被告人らに対する以上の取調状況に照らすと直ちに右特信性がないと断ずることはできないといわざるを得ない。

第九  上告審判決の判示事項との関連について

なお上告審判決の判示には、「鳴海殺害に関係した犯人らの特定に関しては、これらのほか、大筋においては争いのない犯人蔵匿をめぐる事実関係(特に被告人ら忠成会関係者の周倒な蔵匿の態様やその間における瀬田会等を含む松田組関係者の深い関与等)鳴海による田岡組長狙撃事件を含む山口組と松田組の一連の暴力団抗争の推移などの背景事情の分析も重要であろう」と判示している部分があるが、前記のような被告人田中、秋丸の供述を中心とする証拠関係の構造、両自白の信用性の欠如、初動捜査の不徹底、すでに事件発生から約一二年の歳月が経過していること等に照らして、当裁判所としては、右解明はすでに不可能であると判断したため、そのための証拠調べは行わなかった(なお、当審検察官も右判示に沿って事案を解明するための立証活動は全くしていない。)。

第一〇  まとめ

以上によれば、原判決のうち、原判示第二の事実を認定した点については、秋丸自白及び田中自白という証拠としての価値がなく、かつ右証拠を除いては右事実を認定するに足りる証拠はないにもかかわらず、右事実を認定した原判決は証拠の価値判断を誤り事実を誤認したものというべく、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、弁護人の各論旨のうち事実誤認をいう点は理由があるが、検察官の事実誤認の論旨は理由がない。

第一一  結論

原判決は、原判示第一の事実と同第二の事実とを刑法四五条前段の併合罪に該るとして、主文においてそれぞれ一個の懲役刑を言い渡しているので、その全部につき、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決の認定した第一の事実、すなわち犯人蔵匿の事実については、原判決挙示の各証拠により原判示第一の事実中、その終期を昭和五三年八月二八日ころと訂正してその余は同一の事実を認定し(被告人田中に関する累犯前科の事実を含む。)、これに対する原判決摘示の各法条を適用した(但し、右事実に関し、当審に至るまでに要した全訴訟費用について、被告人三名につき刑事訴訟法一八一条一項但書を適用する。)うえ、主文の量刑をし、これと併合罪の関係にある被告人三名が共謀のうえ鳴海を殺害した(但し、被告人秋丸は逮捕監禁の限度)との公訴事実については、その全部につき証明がないから、その余の検察官の論旨(被告人衣笠に関する量刑不当の主張)に関する判断を省略したうえ、刑事訴訟法四〇四条、三三六条後段により主文で無罪の言い渡しをすることとする。

(裁判長裁判官近藤暁 裁判官梨岡輝彦 裁判官安原浩)

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